新入職1年目の看護観と、“今”思うこと2025-2-27【カテゴリー】その他/なりたい看護師・看護観
私は2023年度の新人看護師として東大阪病院に入職しました。
新入職1年目の看護観
新入職1年目の終わりごろ、自分の看護観について考える機会がありました。
当時の私の看護観は、非日常的でストレスの多い入院生活を送っている患者さんが医療者を信頼し、少しでも安心して過ごしていけるような看護を行うことでした。
看護学生時代の実習では一人の患者さんを担当し、じっくり患者さんと関わることができました。しかし、社会人となり、実際の現場に出てみると、病棟勤務では複数の患者さんを受け持ち、勤務時間内に実施しなければならない業務がたくさんあります。毎日それらの業務を滞りなく遂行することに注力をしている状況で、それは患者さんとしっかりと向き合い、信頼を得る看護とは程遠かった気がします。

看護師1年目の私の看護観を決定づけたエピソード
看護師1年目の私が「非日常的でストレスの多い入院生活を送っている患者さんが、医療者を信頼し、少しでも安心して過ごしていけるような看護を行う」という看護観を持つきっかけとなったエピソードを紹介します。
夜勤に入った時、担当していた終末期の患者さんで呼吸状態が悪く、酸素マスクやSpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)のモニターを外す行為がみられました。酸素マスクを外すとたちまちSpO2が低下し、痰も多く、私は呼吸状態について観察するのに必死でした。そんな中、患者さんは私が近づくと何か話しかけてこられたけれど、喘ぎ呼吸のため、話の聞き取りは困難でした。唯一聞き取れた「水が飲みたい」との訴えに、水を飲まれたその後も別の何かを訴えられている。私はせん妄の影響でさまざまな事を話すのだろうと考え、患者さんの訴えを聞く時間をそこそこに、痰吸引やマスク装着、危険行動の観察に集中しました。仮眠後、先輩看護師からその患者さんの様子について「お饅頭食べたいっていっておられたよ」など、他にも多くの話をされていたと聞きました。私はほとんど話が聞き取れない中、先輩看護師が患者さんと会話できていることに驚きました。そして、その患者さんはその日の朝に亡くなられました。
私と違い、先輩看護師が患者さんと沢山会話できた一番の理由として、先輩看護師は、ひとりの人間としての患者さんを看ていたからだと考えます。私はモニター上の数値が下がらないようにモニターと患者さんの呼吸状態に目を向け、ひとりの人間としての患者さんを看ることに欠け、患者さんの気持ちを想像することもできなかったのです。呼吸状態が悪化する中、不安や恐怖があったに違いない患者さんが、目の前にいる看護師が自分と向き合っていないことを感じたであろう絶望は、今思い出しただけで苦しく自己嫌悪に陥る経験です。
看護師2年目となり・・・
私は日々、多くの時間を患者さんと関わっていると感じていますが、入院生活を送っている患者さん一人ひとりにとっては私たち看護師と関わる時間は1日の中でもわずかです。だからこそ私たち看護師の発する一言、ふとしたふるまいは、患者さんにとって印象深く残るのです。「昨日に比べて今日は調子がよさそうですね」など患者さんの変化を声に出し、患者さんには”自分のことをみている看護師がいるのだ”という安心を感じてもらいたい。患者さんから信頼される看護師としてこれからも看護を実践していきたいと思います。
このように当時は思い、私は2年目の看護師となり、もうすぐ3年目としての看護師生活が始まります。
今、新たにに思うことがあります。
2年目となり、任される仕事は増えている中で、やはりまだ患者さんに安心を感じてもらえる丁寧な看護ができていないのでは、と感じることがあります。一方で1年前の新人看護師の時には見えなかった患者さんの表情に気づいたり、患者さんの状態観察をしながら声掛けをすることができるようになったのではないかと思っています。
看護師としてはまだまだ未熟ですが、これからも成長していきたいと思っています。

